HOME (トップページ) にもどる

匠について

人は年を重ねると、ひとりやふたりの匠や匠の店、匠の工房を思い

出すものです。そのような話題には、何かしら心が暖まる気がしま

す。匠に関する思い出などを、知合いの輪から順次書いていただ

きたいと思いこのページを作りました。初回は、企画者のボクが書

くことにしました。後に続く人たちの拙文のサンプルとして。

一澤の先代

ボクも遠い昔は学生だった。新入生として2ヶ月程たってグライダー部に入部することにした。当時も今もそう

だろうが、大学の殆どが航空部と冠している中で、グライダー部と名を上げているところは他になかった。実際

はグライダーにしか乗らないのに航空部と名乗っているのは、戦前は学生が飛行機に乗っていたからだろうと

思う。この珍しいグライダー部の名を出すと模型飛行機のグライダーを作る同好会かと思われることが多かっ

た。2年生になって、国産の上級グライダーを部が持つことになった。正しくは学校が所有して、部が独占的に

使用できるものだったが、使用者の部としては全面的に運営管理する責にある。この上級グライダーは、地方

空港や河川敷きで飛ばす時以外の保管には格納庫が必要なんだけれど、格納庫を作る財力や場所は持ち

合わせていない。他の大学でも事情は同じなんだろうけど、トレーラなるものを作り、これに格納することにし

た。トレーラにするのは誠に理にかなっていた。この上級グライダーは使うときには、地方空港や河川敷きに

持って行く必要があるし、使わないときには学校内に保管しておく必要があるからだ。運搬と格納という一石

二鳥でトレーラが必要となった。このトレーラは、鉄パイプと中古トラックの後輪部分を利用して作られた。機

械系の先輩方の設計と調達力のなせる技であった。見た目は超大型のリアカーということになる。足回りと

骨組みで、十数万円したと記憶する。当時は高いものだったが、それでも破格の安さで作り上げられた。この

足回りと骨組みに幌をかぶせて、風雨を防ぐ仕組みである。どういう経緯だったかは、上級生から聞いた記

憶もないのだが、幌は東山三条にあった一澤帆布店(いちざわはんぷてん)で作ってもらうことになった。

それで、部で所有する自動車で一澤帆布店の大将を迎えに行くことになった。グライダー部の持つ自動車の

ひとつに、グライダーを曳航する大型の乗用車がある。これは、米国製の大型乗用車のポンコツを手に入れ

たものである。普段はナンバーがなく市中を走れない。移動の折りには、陸運局から仮ナンバーを出しても

らって陸送の名目で市中を走っていた。地方空港や河川敷きでの飛行練習の前には、仮ナンバーをとるの

で米国製の大型乗用車で公道が走れる。一澤帆布店の大将に幌を作ってもらうために、足回りと骨組みの

トレーラをみてもらう必要があったのだ。ボクらが、一澤帆布店の大将を迎えにゆくと、ポンコツの米国製の

大型乗用車をみて、「オーオー、豪勢にキャデラックで迎えに来てくれたか」といたく喜んでくれた。匠を思わ

せるなんとも軽妙な感じの人だった。そして、無事幌ができ、トレーラは完成したのである。

随分、長い間、一澤帆布店の大将のことはすっかり忘れていた。7、8年前になるだろうか、電車に乗ってい

た折り、幌の布地で作ったリュックをみかけた。興味をもってそのリュックをみると、一澤帆布製のラベルが

縫い込まれていた。多分、あの大将ではなく、その後継者が考え、販売しているのではなかろうかと思う。

あの匠の大将の思いが、後継者で実を結んだのではと憶測している。

しばらく訪ねたことのない大学と、匠の店である一澤帆布店に寄ってみたいと思っている。

 

追記: あまりいい話ではないけれど

2005年12月17日 毎日新聞朝刊に『「一澤帆布」社長を解任』という見出しで、一澤帆布の内輪もめを報じて

いる。多分、ボクが大将だと想像する会長が2001年3月に死去されたようで、遺産相続で兄弟が対立している

らしい。会長が健在の折に社長として実務を担当していた三男に、会長は会社を相続しなかったことに対立

の火種があるようだ。兄弟仲良く協力しあって世界一のブランドを目指すのが一番だと思うが、現実はそう

はゆかないようである。それにしても、大将!、なんとかならんもんですかね

 

  HOME (トップページ) にもどる

RETURN (呼出元にもどる)